隠岐島旅行記

壮大!絶景!!秋の隠岐旅行(by ミスター赤ヘルメットさん)

隠岐島
職員旅行で行ってきました。

(一日目)
広島−貸し切りバスにて高速道路を走る−境港〜〜高速船〜〜隠岐島後着
(二日目)
島後〜〜フェリー〜島前−島前周遊〜〜高速船〜〜七類港−広島着

といった日程でした。広島から4時間半ほどかかりました。日本海を高速船で渡りましたが、やはり波が荒くその波を避けながら運行するので揺れもそれなりにありましたよ。
しかし、珍しく晴天に恵またこともあり、絶景を目に焼き付けてることができました!海の幸が中心の食べ物もとてもおいしかったです。


【旅行時期】2007/10/15~2007/10/16
【エリア】隠岐全域
【テーマ】
【投稿者】ミスター赤ヘルメット

奈良・京都の旅 10 宿坊に泊まろう! 妙心寺大心院 (by コクリコさん)

隠岐島
奈良・京都の旅の『おまけ編』は、京都で二泊した妙心寺大心院の宿坊です。

京都では疲れてしまったので、大心院の宿坊の写真をちゃんと撮れませんでした。
本当なら、玄関、お風呂やお手洗いなど詳しく写すべきでした。

どうしたんでしょうね、写真を撮るのをすっかり忘れていたので中途半端な宿坊記になってしまいました。
宿坊に一度は泊まってみたいと思う方に雰囲気だけでもお知らせいたします。

独身の頃から奈良・京都の旅では宿坊(隠岐島の4島では神社)を利用することが多かったのですが、ここ数年、お手ごろ価格で感じが良い、あるいはユニークな宿坊がなくなりつつあります。
また最近は豪華な、なんとか会館のような建物の宿坊も多いため「お寺に泊まる」という雰囲気も薄れつつあります。

そんな中で、お手頃価格で宿坊らしく、朝食が美味しいことで人気の妙心寺大心院にやっと泊まることができました。
「やっと」と言うのは、宿坊好きの間では「安くて、美味しい、お寺の雰囲気がある」と人気があるため、観光シーズンは満室でなかなか予約がとれないのです。


妙心寺大心院は2008年4月現在、1泊朝食付で4700円。
電話(075-461-5714)で空室を確かめた上、往復ハガキで申し込みます。
地図とパンフレットが同封された丁寧な返事がきます。

☆宿坊に泊まるに当たっての注意事項

1. あくまでもお寺なのでホテルや旅館のようなサービスは期待できない。

2. 部屋と部屋は襖1枚で区切られているだけなので、大声でおしゃべりはできない。

3. もちろん、消灯時間は早い。各お寺によってさまざまですが、妙心寺大心院は消灯は午後10時。

4.そういうことですから門限は早い。大心院の門限は午後9時。

5. 朝の勤行は大心院では希望者だけ参加すれば良いですが、京都泉涌寺の悲田院は勤行に宿泊者は全員参加。
でも朝の勤行は気持ちが良いので出来れば参加してくださいね。

6. お風呂やお手洗いは共同。

注意事項や朝食・夕食の有無は各宿坊により様々ですので、予約する時に確かめて下さい。


猶、宿坊について詳しく知りたい方は『それいけ旅人!宿坊研究会』のサイトをご覧ください。
  • http://syukubo.com/

  • 【旅行時期】2008/04/04~2008/04/06
    【エリア】今出川・北大路・北野
    【テーマ】寺社・札所めぐり
    【投稿者】コクリコ

    日本の旅 あこがれの離島・日韓問題の「竹島」が所属する  隠岐島(by さすらいおじさんさん)

    隠岐島
    隠岐島(おきのしま)は、日本海に浮かぶ島根県所属の島々。島根半島から北東へ約65km、日本海に浮か島ぶ隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島である。島前(どうぜん)と呼ぶ3島・西ノ島、中ノ島、知夫里島、島後(どうご)の4島に約3万人が生活している。
    「竹島」(韓国名・独島)は1905年(明治38年)から島根県隠岐島の所管であったが日本の敗戦後、1952年(昭和27年) 韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言(李承晩ライン宣言)による領有主張から問題が発生し、現在最大の日韓問題となっている。「竹島」は、現在も日本では島根県隠岐郡隠岐の島町に属しており、隠岐島の北西約157kmに位置し、東西の2主島と数十の岩礁から成り、東京ドームの約5倍の広さ。島は飲料水にも乏しく人の常住には適さず、最近韓国が警備兵を常駐させているそうだが古代より無人島だった。魚介藻類など水産資源が豊富で経済水域200海里が明文規定された後は重要性が高まり、水産資源の確保の観点から日韓の争点になっている。竹島は古代より日韓ともに漁場の普通の無人島だった訳だが漁場争いで重要になったと言えるだろう。これは住民が追い出された北方領土とは事情が異なる。日韓両国とも領土の主張をまげることは無いだろうが、この領域は公海にするなどの妥協点が無いものだろうかと思う。
     一方、隠岐島は古代から防衛上の重要拠点とされ、島でありながら、淡路、佐渡とともに「国」として扱われてきた。また、この島は流刑の島として、承久の乱を起こした後鳥羽上皇(1180−1239年)、倒幕に失敗した後醍醐天皇(1288−1339年)を始め、遣唐副使小野篁、前加賀守源頼房等、都の貴人、高官が多数配流された島でもある。
     特に有名なのは隠岐島脱出に成功し「建武の中興」を成立させた後醍醐天皇と倒幕に失敗して流された後鳥羽上皇だろう。上皇は脱出を諦め逝去までの16年間を隠岐で暮らした。藤原定家をも凌ぐすぐれた歌人と言われている。

    人もをし 人も恨めし あぢきなく 世をおもふゆえに 物おもふ身は  後鳥羽上皇

    この歌は百人一首で親しまれているおなじみの歌で上皇の無念さが良く伝わってくる。
     島後では後醍醐天皇行在所といわれる隠岐国分寺(黒木御所説もある)と後鳥羽上皇を慰めるために始められ現在に至る牛突き、隠岐国の総本社玉若酢命神社、億岐家、樹齢2000年の八百杉、紺碧の日本海が鮮やかな白島海岸など、島前・西ノ島では国賀海岸、黒木御所などを観光したが、歴史・文化・自然ともに豊かな島だった。
    (写真は白島海岸の光景)


    【旅行時期】1994/09/02~1994/09/03
    【エリア】隠岐
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】さすらいおじさん

    テーマパークで遊ぼう 淡路島の旅― イングランドファーム(by marukunさん)

    隠岐島
  • http://plaza.rakuten.co.jp/hunkorogashi/




  • onokoro

    天の神の命令を受け、イザナギ(男神)・イザナミ(女神)の二神は、天の浮橋に立ち、天つ神から授かった天の沼矛(ぬぼこ)を指し降ろして潮を「こをろこをろ(カラカラという音)とかき混ぜる。
    矛を引き上げると、矛先から潮が落ちて固まり、島となった。
    おのずから凝り固まったのでオノゴロ島という。
    二神はこの島へ天降り、天の御柱(みはしら)と八尋殿(やひろどの)を建て住んだ。
    そして、淡路の穂の狭別島(さわけしま・淡路島)を筆頭に、伊予の二名島(ふたなのしま・四国)、隠岐の三つ子の島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊岐島(いきのしま・壱岐)、津島(つしま・対馬)、佐渡島、そして最後に大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま・本州)を生んだ。
    これを大八島国(おおやしまくに)という。
    さらに六島〔吉備児島(きびのこじま)、小豆島(あずきしま)、大島、女島(ひめしま)、知訶島(ちかのしま)、両児島(ふたごのしま)〕を生む。

    (古事記より)

    連載物でお届けしてきました(笑w)真鍋大隅君をしばしお休みし、、、、まるくん真骨頂の「旅物帳」ですw
    行ってきましたw
    伊予の二名島からおのころ島へw
    恒例のGW一泊家族小移動
    GWに移動する民族の血はかなし、子たちは楽し、、、、。
    で、、、
    あんまり書くの気乗りしないなぁ〜〜〜
    だって、、、、
    まるくんの旅の青空w
    やっぱ、お天気のハナシからでしょw?

    えええええええっ!###
    しっかり雨、、降りましたともっ!
    大降りでしたともっ###
    鳴門からはうずしおならぬ、オオカゼでしたが?
    なにかっ?@@
    ついでに、アタシの体調も大風小風>、<

    雨槍降ろうが、でも、そこは大隅、、、もとい、まるくん
    ちゃんと物語性をつくっていきましたw

    嘘、、、w

    あんまし書く気力削がれてるんで、、、(笑w

    画像でゴマカサシテくらはいw


    【旅行時期】2004/05/~2004/05/
    【エリア】淡路島中部・洲本
    【テーマ】家族・子連れ・バリアフリー
    【投稿者】marukun

    隠岐島画像